@ネバダからの帰り道@

ラスベガスの義母の自宅玄関前についた奴と私は37時間がゆうに40時間を
超えてしまったバス旅行にもう抜け殻同然・・。
まったく災難としか言いようがなかった。
『これでここのカギでも忘れてたらシャレにならんな』と考えたほど。
その夜はラスベガスだというのに何処にも行かず冷凍のフライドチキンを調理して
夕食を摂ったあとはひたすら爆睡爆睡〜。しかしネバダの9月は暑かった・・。
 
さて次の朝。すっかり体力を取り戻した私はせっかく気晴らしにとここまで来たんだし
義母もゆっくり2・3日してくるようにっていってたから,ラスベガスにも一度日本から
何年か前に奴と義父母訪ねて遊びに来ていて,それが楽しかったこともあって
少しは羽のばそうかなとウキウキしていた。
はっきりいって私のこのビョーキは治らないらしい。
またもや甘かったのである。
 
翌朝目覚めるなり『はよ,支度せい!』とせかしにかかる奴。
『なんの支度やねーん』との私に,
『午前中にはココでたい。砂漠は今日中に超えてしまいたいから』と奴。
どうやら奴は大胆にもトンボ帰りを強行するつもりらしいのであった
前日に着いたのが昼だったから昼前に出るとなると24時間もいたことにならない。
場所が楽しいラスベガスだけに納得がいかなーーーーーい!
まあ,ギャンブルする金のない人間にとっちゃラスベガスなんてうっとうしい
だけなんだけどね。それに・・・・・
病気になった義父の看病で奴と双子の妹が訪ねてくることになっているとはいえ
あのトレーラーで独りいる義母のこともあったし,まあここはやはり帰るしかない。
奴にとっちゃただ帰ってゆっくりしたいだけなんだろうけど。
 
というわけで奴と私はすったもんだとシェビー社のトラックに乗りラスベガスの
義父母の住宅を朝10時に後にしたのでした。ワシントン州まで1200マイル。
バスと違い泊りの時間を入れるとほぼ2日かかることになる。
ネバダ砂漠の真ん中を走り抜けていくので周りは乾いたまるで映画にでて
くるような景色である。バスで行きしなにも似たようなとこ走っては来たけれど
その時はもう疲れのほうが先走ってなんにも楽しめなかった・・。
今度は自分達の運転するトラックで高台のような座席に伸び伸びと座り
眺めもバスでいう先頭座席のようで抜群にいい。
アイスボックスで冷たく冷やした缶コーラをシュバと開け低くした窓からの風が
心地よい〜・・・。カラリと晴れ渡った空に乾いた空気がなんともいえなかった。
 
が,太陽が全力で発動しだす昼すぎあたりからがマジの正念場である。
途中たしかデスバレーの近くを通ったような気がするのだがそこでなんと
125度(華氏)を記録したとかラジオで聞いた。それって50℃超えてないすか・・・・?
地獄のように暑かったはずなのに私にはなぜかその記憶があまりない・・。
エアコンがあったにもかかわらず燃費が悪くなるからと使わずに乗り切ろう
としていたのだけはおぼえている。当時まだまだ日本の高湿度の灼熱地獄
に慣らされていた私にとって温度が高いとはいえカラリと乾いた空気のせいで
それほど暑さが苦にならなかったのかもしれない。
 
暗くなるまでになんとか砂漠を超えてネバダのもう一つのギャンブル都市
リノに到着する。そして今度は奴の大胆な発想が私の病的にしぶとい期待
を粉々に粉砕してしまわないうちに私は夜はカジノのビュッフェで食べると
奴に言い切ったのである。災難な長旅そうでもしないと気が治まらないんだよ。
怒った奴であったが私の頑固さに負けて一人8ドルと食べ放題とはいえ
当時の2人にとっては考えられないような贅沢をすることになった。
 
2人にとって贅沢とはいえ一般的には当たり前どころか激安のディナー
料金であったから,ビュッフェで出ているものも魚のフライであったり,
フライドチキンであったり煮た野菜にライスであったりとありきたりなものばかり。
それでも大決心して夕食に挑んだ私であったから奴の『んなもんより,バーガー
(ファーストフード,もちろん)のほうが安くていいんだよ』というブチブチの文句
にも耳をかさずせっせと取り放題の魚のフライをナプキンに包んでかばんの中へ
どんどん忍ばせていたのでありました。わはは。すんませ〜ん。
 
夜の8時になったにもかかわらず夕食の選択に負けたくやしさからか(?)
奴はドライブを続行すると良い張る。ふん,こっちには魚のフライという
強い味方があるんだよとばかりに奴のいいようにさせて夕食だけでとっとと
リノを後にした奴と私だった。
 
そしてネバダとカリフォルニアの州境の辺りで疲れてしまい夜中の12時を
過ぎてもいた事だしハイウエイ沿いのレストストップにてトラックを駐車し
車内で寝るには狭すぎる座席に2りでグルグル動き回りながら眠りに就こうにも
寝心地が悪いったらありゃしないではないか・・・。途中でおトイレに立つにも
奴について行ってもらってという始末・・。
これは今から思えば身の毛がよ立つほど危ない事をしたものだと思う。
レストストップなんて真っ昼間でもひと気のないところは危なっかしいんだろうに・・・。
金がなかったとはいえ今のような家族持ちになるととてもじゃないができない。
 
とにかくあくる朝,完全に寝違えた身体をボキボキいわせながらカリフォルニア
を超えてオレゴンに入り北へ北へとワシントン州に向かって走る。
オレゴン州のユージーンで奴と交代して私がトラックの運転をすることに。
ビクビクもので運転しはじめたがやりだすとどうってことなかった。
結局ワシントン州の家まで私が運転して帰って来たのである。
夜中の3時にトレーラーに着くとなんと30分程前に奴と双子の妹もサンディエゴ
から運転してきて着いていたらしくて義母と特別に仲のいい彼女といっしょに
真夜中からビールを取り出して旅の疲れも忘れて大騒ぎするはめになった。
義母も一度に人が増えて喜んでいる様子だった。
 
しかしこの旅行とは名ばかりの長旅・・・・はっきり言わせて頂くと
二度とやりたくないというのが本音である。
思い出しただけで疲れたわい。
*グレイハウンドのストライキによるボイコット事件はワシントン州に帰ってからもグレイハウンド社の雇った探偵会社から
犯人らしき数人の顔写真が送られて来たり電話があったりしたが,しばらくすると結果の報告もなしにうやむやになって
しまっていたのでありまする。

 

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