@1989年・渡米@

あらら・・,今思えば23歳という若きでございましたな・・
別にそれまで周りの大反対(親はうるさくとがめなかった)押し切って
4年近く同居してた今の旦那が悩んだ末にアメリカ帰っちゃってね。
とりあえず一人で様子みたいって。
 
「落ち着いたら,あとで呼ぶから・・」と   
「あとで呼ぶ」って住所教えろよな(笑)それならよ。
 
まったくどうなってるんかさっぱり信用できないし,
自分もこのまま連絡なかったときの「まさか保険」に加入したつもりで
「待ってるよぉ」と口ではいいつつも<さてと・・これからどうなるやら>
と大阪伊丹国際空港の空をう〜んと見上げたのでしたぁ・・(笑)。
 
親はやっぱり大半の予想通りこのまま音信不通になるのを
かなりの割合で期待していたと思う。
 
落ち着き先もすべて事後報告なんてやっぱり絵に描いたような
裏切りのシナリオだし(笑)。
それに我が娘をそんな遠くへやりたくなかったろうしね。
周りの人間だって「ほれみぃ〜そ〜」とほくそえんでただろうな(笑)
 
もかかわらず1999年の今ここワシントン州の自宅でこれを
書いているってことはやはり多くの人の期待を裏切ったことになるわけね。
 
1989年の春のこと。
 
それである日伊丹国際空港での「んじゃ,また」の超軽量なお別れから
1ヶ月もたたずに奴から「来んかい」の電話・・。
様子見るんとちごたんか〜い?けっこう狭いなアメリカも。
 
てなわけで別に骨埋めるとかそういう気張りなどまるでなしにお気楽なノリで
フンフンとノースウェスト航空機のコーチ席に尻を沈めたわたし。
コーラ買いに行くんとちゃうがな。
 
空港での親のあきれた顔が浮かんで消えた。
 
6月25日の日曜日のできごと。
 
今思えば冷や冷やもんの言動が目立った私だったが
その楽天の部分のおかげでこれまでの10年間の大半の想像絶する生活に
耐えられたんだと思っとります。
 
 

知り合って14年,だぁ〜れも続かないと思った私達^^今年で結婚10執念(ちごた,周年)迎えてしまいます。1989年よ,お前はやっぱり思い出の年じゃ♪

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