@ネバダへ行こうか@
1990年の夏頃だったか,RV(レクリエーショナル・ヴィエクルの略で |
キャンピングカーのようなもの)でラスベガスに住んでいた奴の両親が |
長期の予定でワシントンまで遊びにやってきた。 |
ワシントン州には奴のほかに前にも登場したすぐ近くに住む義兄夫妻と |
州の東部のスポーケンというところに義姉がその夫と暮らしている。 |
当時奴の兄弟姉妹6人のうちの3人がワシントン州にいたわけだから |
(今は一番年下がシアトルにいるので4人)義父母が訪ねるときは |
大体がほぼ長期と決まっていたカンジ。 |
93年に亡くなった義父はいわゆる頑固者で,子供達(奴の姉妹兄弟) |
とも結構口論の絶えない人であった。義母といえばそのまた逆で |
子供である奴の姉妹兄弟からみんな結構いい大人なんだけど78の今に至るまで |
かなり幼稚な問題や相談事などティーンエージャーのように持ち込まれては |
ことごとく相手になっているような人である。 |
私は当時にしてみれば義父母とはお互いあまり気が通っていなかったこともあって |
表面上は穏やかで波が立たなくても,内面は結構気を使っていた。 |
奴のきょうだいよろしく奴だってかなりの母っ子だったからそれが義父のお気 |
に召さないらしく,彼がいつも不機嫌そうにしていたのを思い出す。 |
ま季節が暖かい夏だったのもあってラスベガスからの2人は凍えもせずに |
晴れた緑の州ワシントンを彼らなりに満喫していた。 |
滞在半ばにしてラスベガスの義父母のアパート前に置いてある彼らのシェビー社の |
77年型3/4トントラック(ピックアップトラックよりもかなり大きいサイズ)を |
譲り受けないかという話しが出た。理由はもちろん『もう乗らないから』。 |
あのトラック私も87年秋と88年の暮れから89年の新年にかけて日本から |
奴と遊びに来ていたときにおなじみになっていて,年モデルの割には義父の |
手入れが行き届いていて結構小奇麗なトラックである。8シリンダーで馬力も抜群。 |
ボロエスコートの他にもう一台なにかあるに越した事ないし,しかもトラックだと |
薪やら砂利やらゴミの運搬やら使える事が山ほどあるこのあたりでは重宝である。 |
それに,それになによりも値段が気に入った。タダ。 |
トラックは義父母の住むラスベガスの州営住宅の前に駐めてあるから, |
ラスベガスまで自分たちで取りに行くというのがもっともな条件で, |
奴と私にとっては絶好の気晴らし旅行にもなるではないか。 |
一も二もなく譲り受けることに同意した。 |
さて,肝心の旅定だが,義父母はまだ滞在が終わっていなかったし |
サンディエゴの奴と双子の妹が車で訪ねてくる事になっていたので,ちょうど |
その頃身体の具合の悪くなった義父の様子を診ることもあって一緒に帰らずに |
奴と私がくだんのトラックを運転して帰ってくるまで留守番する事にして |
奴と私のラスベガスまでの移動方法はグレイハウンドという全米を網羅する |
バス会社を利用する事になった。 |
シアトルからオレゴン州ポートランド。そこから東へと逸れアイダホ,ユタ |
アリゾナと横断してネバダはラスベガスに到着する予定である。 |
バスで大陸を縦断・・・・なんと興奮するではないか・・。バスは遠足とかでも |
大好きだったし,ラスベガスまで観光気分で景色なんかみてりゃもう最高だ。 |
飛行機なんかよりよっぽど味があるとすっかり有頂天になってしまっていた。 |
甘かった・・・ |
だいたい期待するとロクなことにならないのが定番なのに性懲りもない。 |
義姉に頼んでエスコートで送ってもらって到着したシアトルダウンタウンの |
グレイハウンドバス停留場にてチケットを購入し一息ついてからバスに乗り込む。 |
停留場からしてダウンタウンも淀んだ場所にあって集まる乗客もまさに人種の |
坩堝なのだが,どうも空港とはひと味もふた味も違う。 |
まるで3等客室の雰囲気ムンムンなのだ。 |
楽しい小学校の遠足や観光バスのイメージがはなからへし折られた・・・。 |
それでもバスだし運転の心配も要らないしネバダまで楽々ちんだと思いきや, |
動き出したバスの車掌の車内放送が。 |
『・・・・・・・・目的地のラスベガス停留場までは37時間』 |
あ,そう♪ふんふんふん♪ |
え?なんていった?37時間か・・?ということは・・・?げ・・・・・・・・・・・・っ・・。 |
なんだってーーーーーーーーーーっ!!!!???? |
37時間ってあんた・・・12時間とかの間違いじゃないの!? |
12時間だって立派に長いわよ!37時間って一日より半日長いじゃないの! |
思わず振り返る私にニヤリとほくそえむ奴のイマイマしい顔。 |
あああああぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!! |
窓にへばり付く私を乗せてバスは次の停留所ポートランドへと走り去ったのでした。 |
つづく