@晴れて結婚@

奴がわたしをここアメリカに呼んだのも,わたしが『よっしゃ』とやってきたのもやはり                  
結婚の2文字が念頭にあったから。 ここまで来た以上やはり後戻りはしたくない・・。
 
2人が一緒になるにあたってまず最初に考えるのが移民局である。
私は観光ビザで入国していた。移民局にしてしてみればその形でアメリカ国民と
アメリカにおいて結婚されるのがどうも厄介らしい。
違法ではないから止められないが(*1),こういった形の結婚は移民入国の管理が
難しくなるためなのかもしれない。
 
あくまでも『結婚の手続きは日本で全て終了させてからアメリカ入国のこと』
が定番らしかった。
それは日本にいるときに理由はともかく「日本で手続きすること」で分かっていたのだが
奴がどうも気がのらなかった。それまで3年半同居していたが,
そんなのと無理に一緒にこっちだってなりたくない。
そうのこうのしているうちに奴が帰ってしまい「結婚」の2文字は「日本での手続き」
のボツとともに奴からの「来いコール」までの間,闇の中だった。
が,私が奴のいるアメリカへ奴に呼ばれて来たとなるとにわかに現実のものとして
膨らんできていたのだ。
 
6月の私の到着から7月が過ぎて8月になった頃『いい加減,一緒になろうか』
ということでその月の11日を『結婚する日ね』って普通日本では考えられない
ヒッピー風のチョーおカルなノリで決めてしまった。
 
私と奴にはなんにもなかった。お役所へ行って18ドル出して婚姻届にサイン
すればおしまい。それを『やっぱり少しは式とかやりたいでしょう』という義姉のはからいで
彼らの自宅で神父を呼んでやることになったのである。
ケーキも義姉が焼いてくれる。
神父夫妻以外は義兄に義姉にその子達,義妹そしてその近所の友達なんか
数人が集まるだけ。おっと,義父母忘れたらいかんな。しかしお誕生会やな,これって。
 
11日はまことしやかに快晴。自宅であるトレーラーで一張羅のスカート,
奴は一張羅の安モンスーツに着替え車で15分ほどの義兄夫婦の住む家までさあ出発。
時間もちょうどいい。
だが・・・
 
もう少しで到着ってときになって奴が『婚姻届け持ってきたな』といいだしたではないか。
『あん?あんた持ってきたんじゃなかったの?』・・・・
『なぁ〜にぃ〜?持ってくるわけないだろぅ。それくらいの仕事じゃんか』
 
おいおい,おっさん。まだサインしとらんぞ,婚姻届。
というわけで時間もないのにUターンするはめに。
もちろんその間中車内ではずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
夫婦ゲンカの特訓してた奴と私。
ああ,独身最後のドライブよ。
 
式で言ったことといえば・・前もっての誓いの言葉を神父さんの後について
復唱する形式だった。『死がふたりを分かつまで』って。
 
晴れて結婚。 音信不通になるかと思った奴と私。チョー貧乏の奴と私。
ささやかにささやかを重ねた結婚式はそんな奴と私にピッタリだったような
気がする。ケチ夫婦には指輪もなし。
 
当時を振り返ってみるとなんか妙に懐かしい。
まだ10周年だけどこれからもケチは治らんだろうな。ケンカもネタが新鮮である。
 
『死がふたりを分かつまで』と言ったことだし・・
その時はじっと観察させてもらおうかな。
(*1)当時の移民法は記憶の曖昧なところがあり不明ですが現在の移民法とはかなり違っているようです。
    どうぞご了承ください。

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